吉井 正雄さん 【 後編 】
吉井さんからのメッセージの後編をお届けします。
長さだけではなく、幸せな人生を送るためのアドバイスになっています。
――― 前回は長生きのすすめという内容でした。
長生きも大切ですが、人生は日々の積み重ねですから、日々が穏やかであることが幸せなのだと思います。そのために必要なことは「感謝」の気持ちを忘れないことです。
例えば私たちは毎日、何かを食べています。命をいただいているわけですね。考えてみれば大きな罪だけれども、浄土宗ではそれを「許されている」と説いています。だから、せめて「いただきます」くらいのことは言わないといけないんですね。
同じようにたくさんの人に支えられて生きています。そのことをかみしめたら「ありがとうございます」の言葉は自然とでてくるのではないですか。
そうするとね。自分は恵まれていることに気付くはずなんです。見守ってくれている人がいて、お手伝いしてくれる人がいて、声をかけてくれる人がいて…。だから、毎日がとても幸せになってきます。それを忘れて、不満ばかり感じるようになったら、本当に不幸な人生になってしまいますよね。皆さんには自分で幸せなことを体感してほしいです。感謝の気持ちを忘れなければ、毎日は数倍幸せになります。
――― 吉井さんはどんな時に幸せだと思いますか。
全部幸せですが、私みたいなおんぼろな者でも「先生」と言ってくれる教え子がいるというのは幸せなことです。上の学校に進むときに、本当は他県の専門学校に行って勉強したかったんやけど、教員をしている従弟がいて、私のお母ちゃんに「正雄ちゃんどうするの? 県外に行ったら帰ってこんで。長男やし困るやろ。学校の先生にしなさい」と言ったんですね。それで教員養成所に行くことになったんです。
――― 希望した進学ができずに、落ち込みませんでしたか。
がっかりはしましたけれど、そういう時代だったんですから、しかたありません。でも、今では感謝しています。特に教員を辞める7年は今の地元の中学校で教鞭をとりましたので、父兄の皆さんとも親しくしていただいて、定年後が楽しくなりました。自治会長までさせていただいた。普通、あとからその地域に来た人にはなれませんよ。
―― 話は変わりますが、当時ですと奥様ともお見合いで知り合ったんですか。
いやいや、遠い親戚でね。親同士が決めた結婚ですから見合いさえしていません。家内はもう亡くなりましたが、長年、そう20年くらいですか認知症でしてね。私が炊事、洗濯、掃除とこなして介護をしていたので、本当に忙しかったです。その時初めて、「女の人は大変な仕事をしていたんだな」と知りました。
でも、家内はかわいそうでしたね。何を食べたかもわからないのですから。日本人の寿命はどんどん延びていますが、身体の健康、頭の健康、心の健康、すべてを整えないといけませんね。
心の健康は「小さな親切」運動がいいですよ。いつでも、すぐにできるのです。「親切」は人様への行為かもしれませんけれど、なによりも自分のためになるんですね。