お寿司屋さんを舞台に、黒岩先生、栗田先生という二人のお医者様が、鮨ネタに絡めた生き物の進化に関わる楽しいお話をしていらっしゃる、「小さな親切」誌新春号掲載の特集「新春サイエンス講座」。
さてこの特集、黒岩先生、栗田先生による寄稿が元になっています。ここでは、「小さな親切」誌の限られたページ数ではご紹介できなかった、さらに詳しい進化のお話、その前編をお届けします。
海老と鯛に学ぶ 生物進化論
黒岩義之(財務省診療所長、帝京大学客員教授、横浜市大学名誉教授)
栗田 正(帝京大学ちば医療センター神経内科教授)
第1章 「海老」と「鯛」の違いは何か
自然は偉大であり、私たちに色々なことを教えてくれます。今日は、私たちの大好きな海の幸である「海老」(図1)と「鯛」(図2)について考えてみましょう。みなさんは「海老」も「鯛」も海に住む同じ魚の仲間だと考えていませんか。本当にそうでしょうか。それではみなさん、次の問題に答えてください。
問題1.「海老」と「鯛」の違いは何でしょうか?
答え1.「海老」にはなく「鯛」にあるものは「背骨」です。
「海老」には体を怖い敵から守る鎧のような固い殻はありますが、背骨はありません。それに対して、鯛の調理場面をご覧になった方はわかりますが、鯛には私たち人間と同じように背骨があります。
答え2.「海老」にはなく「鯛」にあるものは「赤血球」と「微小循環」です。
「海老」を包丁で切っても赤い血は出ませんが、「鯛」を包丁で切ると赤い血が出ます。血(生物学では「血液」と言います)が赤いのは、酸素を運ぶヘモグロビンというたんぱく質を含む赤血球という細胞が血管の中を動いているからです。「海老」にも「鯛」にも血管はありますが、「海老」にはヘモグロビンをもつ赤血球がないので、血が赤くないのです。赤血球は伸び縮みが自由で、どんなに細い血管でもしなやかに通り抜けることができるため、「鯛」では細い血管(生物学では「毛細血管」と言います)を利用した血液の流れ(これを「微小循環」と言います)が「海老」よりも発達しています。
答え3.「海老」にはなく「鯛」にあるものは「複雑な免疫警備システム」です。
「海老」では白血球やマクロファージが外から襲ってくる細菌を飲み込んで殺してしまう「自然免疫」という警備体制があります。一方、「鯛」では白血球やマクロファージで守る「自然免疫」の警備体制のほかに、血液の中のTリンパ球やBリンパ球が細菌に対する抗体(鋳型)を作って、これが外から襲ってくる細菌を撃退する「獲得免疫」という警備体制があります。すなわち、「自然免疫」という警備体制だけに頼る「海老」に対して、「鯛」は「自然免疫」プラス「獲得免疫」のより守りの固い警備体制を敷いているのです。
答え4. 「海老」の腸は「せわた(背腸)」、「鯛」の腸は「はらわた(腹腸)」です。
「海老」の胴体では腸管(わた)が背側にあって、神経管が腹側にあります。料理人は生きた伊勢海老を背中から開いたときに見えてくる腸管を「せわた(背腸)」と言いますが、「海老」は「せわた(背腸)」の動物です。それとは逆に「鯛」の胴体では腸管(わた)が腹側にあって、神経管が背側にあります。料理人は生きた鯛を腹側から開いたときに見えてくる腸管を「はらわた(腹腸)」と言います。人間でも怒った時に「はらわたが煮えくり返る」という表現を使いますが、「鯛」は人間と同じ「はらわた(腹腸)」の動物です。
第2章 背骨のない動物と背骨のある動物の違いは何か
前章で、「海老」と「鯛」の違いは何かという問題に取り組みました。
少し復習しますと「海老」にはなく「鯛」にあるのは「背骨」、「赤血球」、「微小循環」、「より高度な免疫警備システム」であることを知りました(図3)。
また、「海老」の腸は「せわた(背腸)」、「鯛」の腸は「はらわた(腹腸)」であることを学びました。一般的に、動物は背骨(生物学では「脊椎」と言います)のない「無脊椎動物」と背骨のある「脊椎動物」の二つに分けることができます。同じ海の中で生活する動物でも海老、イカ、タコ、貝などは背骨のない「無脊椎動物」の仲間で(図4)、マグロ、カツオ、鯛、鰻などは背骨のある「脊椎動物」の仲間です(図5)。同じ空を飛ぶ動物でも、蝶々、セミ、蛍のような昆虫は背骨のない「無脊椎動物」の仲間で、鳩、鷲、カラスのような鳥は背骨のある「脊椎動物」の仲間です。したがって、「海老」と「鯛」は違う仲間です。また「海老」と「昆虫」は同じ「無脊椎動物」の仲間であり、「鯛」と「鳥」は同じ「脊椎動物」の仲間なのです。
無脊椎動物である「海老」と脊椎動物である「鯛」の違いは無脊椎動物と脊椎動物の違いとして、一般的に言える特徴なのです。無脊椎動物から脊椎動物に進化する過程で、神経管と消化管の背腹逆転(無脊椎動物の胴体では神経管が腹側で消化管が背側、脊椎動物の胴体では逆に神経管が背側で消化管が腹側)が起こったのです(図6)。気が遠くなるくらい長い進化の歴史で(これを「系統発生」とも言いますが)、ドラスチックな「進化」が5億年前の無脊椎動物から脊椎動物への分かれ道で起こりました。
今、「進化」という言葉を使いましたが、背骨のない「無脊椎動物」と背骨のある「脊椎動物」の違いは「進化」なのでしょうか。英国が生んだ偉大な進化論者のダーウインの言葉に『最も強い者、最も賢い者が生き残るのではない。唯一生き残ることができるのは変化できる者。』という名言があります。
It is not the strongest of the species that survives, nor the most intelligent that survives. It is the one that is most adaptable to change.
これが「進化」なのです。
いかがでしたか。科学エッセイ・前編をお届けしました。
後編はこちらから!
筆者紹介
黒岩義之 [くろいわ・よしゆき]
1973年 東京大学医学部医学科卒。米国留学、東京大学神経内科 医局長、岩手医科大学神経内科 助教授、虎の門病院神経内科 部長を経て1992年 横浜市立大学神経内科 主任教授。2010年 横浜市立大学医学部長ならびに全国医学部長病院長会議会長、医学教育への貢献で「秋の園遊会」に招かれる(文科省推薦)。2012年 帝京大学医学部附属溝口病院 脳卒中センター長。2014年 財務省 診療所長。現在、日本自律神経学会 理事長/東京都医学総合研究所 理事/虎の門病院 嘱託医/冲中記念成人病研究所 評議員/日本脳科学連合 監事/日本医学会 評議員/医薬品医療機器総合機構 専門委員/「神経内科」誌 編集委員長/厚労省「重篤副作用総合対策検討会」委員として脳科学分野で活躍中。
栗田 正 [くりた・あきら]
1980年 東京慈恵会医科大学医学部医学科卒。2006年 東京慈恵会医科大学附属青戸病院神経内科診療部長 准教授。2007年 東京慈恵会医科大学附属青戸病院副院長。2008年 東京慈恵会医科大学附属柏病院神経内科診療部長 准教授。2008年 東京慈恵会医科大学附属柏病院東葛北部患者支援・難病センター長を経て、2014年 帝京大学医学部ちば総合医療センター神経内科教授。