エッセイコンテスト ~はがきキャンペーン~

伝えたい「ありがとう」の気持ちを、1枚のはがきに綴ってもらうエッセイコンテスト。

子どもから大人まで年齢を問わず誰でもご参加いただけます。みなさんも、普段は言えない、あのときは言えなかった、そんな想いを伝えてみませんか。
現在は、はがきだけでなく電子メールでも応募できます。

入賞・入選作品は『涙が出るほどいい話』『胸が熱くなるいい話』などの書籍にまとめられています。
シリーズ累計157万部を超えるロングセラーとなっているのは、それぞれの感性で、真実の心が語られているからです。

今年度の受付は終了いたしました。
たくさんのご応募ありがとうございました。

主催 公益社団法人「小さな親切」運動本部
後援 日本郵便株式会社  読売新聞社
協賛 株式会社河出書房新社

入賞作品より~胸がキュンとするいい話

第39回はがきキャンペーン 入選
『瑞々しい心の君たちへ』 鹿児島県 右田文子(76)

今から45年ほど昔のことです。

生後間もない娘を抱いて、家族4人で鹿児島市北部の団地に転居しました。

ある日、街に出かけて帰りにバスに乗りました。途中、下校する小学校低学年のかわいい児童が数人乗車しました。団地に入ると、それぞれが降車の際に、運転手さんに「ありがとうございました」と、元気にお礼を伝えているのです。

私は感動して、清々しい思いで心が満たされました。車の運転ができない私は、日頃路線バスにお世話になっているのに、いつも無言で降車していたのです。

子どもたちの行動に心動かされた私は、彼らをお手本にしようと決めました。

小声で始めた「ありがとうございました」。何時しか自然に伝えられるようになり、時の経過と年齢を重ねながら、言葉に添える思いが折々に変化しました。

70代半ばになった現在、路線バスや運転手さんのありがたさをしみじみ感じて乗車しています。あの時の小学生たちは50代半ばになり、社会で活躍されていることでしょう。

私に小さな勇気を教えてくれた君たちへ、心からありがとう。

第38回はがきキャンペーン 入選
『雪かきはおたがいさま』 東京都 小野 史(42)

新居を構えて半年後、ここ東京でも大雪に見舞われた。辺りに雪かきの音が響き渡る。

「どうしよう。スコップなんて、持ってないじゃない」

「ちょっくら、買ってくるよ」

白一色の銀世界の中、夫がはりきって飛び出していった。

ところが、間もなくホームセンターから帰ってきた夫の手には、何も握られておらず、空っぽ。どうやら、全部売り切れていたらしい。

そこで、娘の砂遊び用のシャベルを持って、外に出た。

すると、隣に住むおじさんが、我が家の駐車場を指さしながら、気さくに声をかけてきた。

「ここも、やっちゃっていいの?」

ちらっと通りを見やれば、すでに雪かきが終わっている。

「すみません。助かります」

「ありがとうございます」

夫とそろって頭を下げれば、さらりと返された。

「いいの、いいの。おたがいさまなんだから」

“おたがいさま”かあ。いい合言葉だな。すてきだな。

心の中でじっくり反芻しながら、思わず顔をほころばせた。色鮮やかなちりとりを飛び入り参加させて、向かいのおばあさんの家も、みんなで雪かきした。

凍えるほど寒い冬空の下、心身ともにぽかぽか温まっていく。

もしまた降り積もるようなことがあれば、“おたがいさま精神”をフルに発揮して、近所の人たちと力を合わせて雪かきを楽しみたいと思う。

第37回はがきキャンペーン 入選
『ジャガイモの花』 徳島県 天竹 勉(65)

父が脳梗塞で長期入院し、母は泊まり込みの看病、私は単身赴任で、妻も共働き。小学3年生の息子はかぎっ子になった。私も土日には帰るが、父の見舞いや仕事の残務に追われ、家事までは手が回らなかった。

そんなある日、家に帰ってみると、玄関の軒下にジャガイモの種芋が届けられていた。父が頼んだものだ。

(そんな時期になったんだ。困った、手に余る……)

それでも何とか裏の畑を耕したが、日が暮れた。

(もう無理、今年のジャガイモは断念だ)

そう決めた。父母は残念がったが、仕方がない。

父の種芋は、軒下でほったらかしになった。

一週間後、帰宅すると息子が、

「ジャガイモを植えたよ」

と言う。裏の畑をのぞくと、こんもりと盛り上がった畝が整然と見える。

「前のおばちゃんと、ぼくとで植えたんだ」

“前のおばちゃん”とは、向かいの家のおばさんのことである。お礼を言いに行くと、

「困ったときはお互いさま。私も、今までいっぱい助けてもろたんよ。お返し」

そう話す笑顔に、感謝した。

そして、父の退院にあわせるように、ジャガイモは花を咲かせた。

第33回はがきキャンペーン 入選
『おじいさんの梅の花』 静岡県 袴田奈月(29)

子どもの頃、近所に「怖いおじいさん」が住んでいた。子ども心に、親たちが食卓で話す「近所のうわさ」を真に受けていたせいかもしれない。

子どもの目には珍しい白髪と、背が高くてしゃんとした背筋、母の「不愛想な人」という言葉が、その瞳を一層鋭く見せる。登下校のたび、柵越しのおじいさんの横を逃げるように走って通る私に、おじいさんはただ黙々と、大きな梅の木の剪定をしていた。

春めいてきたある日の授業中、突然慌ただしい先生の声。

「ママが入院したって。お父さんが迎えにきてくれたから、すぐおうちに帰りなさい」

体の弱い母は、日頃の疲れが出たらしく、仕事先で急に倒れたそうだ。父に手を引かれて病院に向かう道中、私は泣きそうなほど不安で、普段なら避けて通るあの「怖いおじさん」の家の前が、すぐそこであることに気づかなかった。

おじいさんは今日もそこに立っていて、私たち親子の焦った様子に、「どうしたんだね」と言った。驚いた父が、「妻の見舞いに」と言うと、おじいさんは、その大きな手で梅を一枝無造作に手折ると、小さな私に「母ちゃんに持ってってやんな」と渡してくれたのだ。

おじいさんは相変わらずぶすっとした顔をしていたけど、その手はとても温かだった。

母はその後5日間ほど入院したが、優しく香る梅の花に、どんなに心癒されたかしれないという。

後日、元気になった母と父と3人でお礼を言いに、おじいさんを訪ねた。相変わらず不愛想で優しいおじいさんは、「まあ、よかったな」とぼそりと言って、初めて少しはにかんだ。

第30回はがきキャンペーン 入選
『お向かいさんに 守られて』 大阪府 柏原代志子(75)

3人の子どもが家を出てから、主人と2人暮らしになりました。当初は主人も私もまだ60代でしたが、いつ何が起きるかわからない年齢でした。

(そうだ、お向かいさんに子どもたちの連絡先を知らせておこう。何かあったら連絡してもらおう)

と、電話番号を紙に書いて、お向かいさんに渡しました。

お向かいさんはやさしい人、快く受けてくださいました。

同時に、部屋の明かりがついていない、洗濯物が出しっぱなしになっていたら、「声をかけてね」とお願いしました。

先日、台風11号が日本中を襲った日でした。大阪ドームへ阪神・広島戦を観に行きました。私たち2人はタイガースファン。台風もなんのその、スタンドは両方のファンで満員でした。でも、2人の声をからした応援空しく、完敗でした。

翌日、お向かいさんから、

「昨日、あんな台風の日にどこに行ってたん?玄関の電気つかないし、娘さんに電話しよ思ったよ」

と、手におはぎを持って、来てくださいました。

「ごめんねぇ。大阪ドームに、タイガースの応援に行っててん」

2人は後期高齢者です。心配かけてしまいました。お向かいさんの思いがけないやさしい言葉に、うれしくなりました。

このことを娘に話すと、「うれしいなぁ。遅くなる時は連絡しときな!」と喜んでくれました。

心から、ありがとうございました。主人と私は幸せ者です。

これからも見ていてくださいね。