福島県 大玉中学校 2年 矢崎 友里
私の住む「大玉村(おおたまむら)」は、お米がおいしい、自然が豊かなど、いいところがたくさんあります。そんないいところの一つに、人の温かさがあると思います。私がそれを実感できたのは、小学生のときです。
私は、小学5年生から、登校班の班長になりました。私の地区から学校までは、およそ2キロと少し遠く、歩くのが面倒だった私は、母に車で送ってもらうことも多かったのですが、班長になってからは、責任を感じ、苦手な早起きや準備をがんばって、しっかり時間通りに集合場所に行き、しっかり歩いて登校するようになりました。
私が班長になったときに入った1年生はたった一人でしたが、とてもかわいくて、4月の頃は、毎朝登校が楽しみでした。しかし、1年生の男の子はとても元気で、道を歩くといろいろなものが気になり、寄り道しようとしていました。
私は、必死にそれを止めようとしていましたが、なかなか止められず、学校に着くのはいつも時間ぎりぎりでした。私が6年生になり、もう一人新入生が入ってくると、今度は二人でふざけ、私はとてもイライラしていました。
だんだんと登校が嫌いになってきた私に元気をくれたのが、地域の方です。私たちの通学路には、毎朝見守り隊という人々が立っています。毎朝あいさつをして、私たちに声をかけてくださいました。
「いつも下級生の面倒を見ていて、えらいわね。」
そう言われると、とてもうれしくなり、それまでのイライラや疲れが吹き飛ぶようでした。私たちの登校の様子は、家族も先生も見ていないから、私を班長として認め、ほめてくださったことがとてもうれしかったです。
見守り隊の方々の言葉は、私をはげまし、私の心に光を灯すようでした。それから私は、毎朝の登校が辛くはなくなりました。私は、雨の日も風の日も、毎日弟と歩いて登校していましたが、そんな日も、見守り隊のみなさんは、私たちを見守ってくださいました。
歩いているのが、私と弟の二人だけでも、レインコートを着て、笑顔で声をかけてくださりました。その笑顔は、雨の日の暗い雲と私の気持ちをぬぐってくれるほど、まぶしかったです。
小学校の卒業式の1日前、通学路を歩く最後の日、私はお世話になった見守り隊のみなさんに、感謝の気持ちをこめた手紙を渡しました。とても喜んでくださり、逆にお礼を言われてしまいました。こんなに優しい人々に見守られながら成長できて、私は幸せだと思いました。
私は、家族や友達はもちろん、他にもたくさんの人々に支えられています。辛いときも誰かがいつもそばにいます。卒業した後に、ある見守り隊の方からもらった手紙には、私の好きな宮沢賢治の詩が書かれていました。
私も、どんなときも笑顔で温かい人になりたいです。
『雨ニモマケズ、風ニモマケズ……。』