「小さな親切」作文コンクール 入賞作品
〈第47回(令和4年度)・入選〉

「地いきのために何かができる『だれか』になるために」

山口県 下松小学校 4年 守政 拓哉

ぼくは、下松市の所田(ところだ)というところに住んでいます。その所田地区の清そうボランティアが5月にありました。去年は、コロナウイルスのえいきょうで、じっしされませんでしたが、ぼくはじっしされるときは、毎年、母とさんかしています。

今年も所田地区の人たちいっしょにじょ草作業をする中で、近所の人たちとたくさん話をしました。「今、小学校は何年生なの。」「小学校は楽しいの。」

などと聞かれながら、草をぬいたり、ごみを拾ったりした活動は楽しかったです。そんな中で、一人の女の人の言葉が、とてもいんしょうにのこりました。

「今日の清そう活動でとてもきれいになったけれど、ごみがこれだけ集まったということは、だれかが、こんなにごみをすてているということね。」

その言葉を聞いて、ぼくも本当にそうだなと思いました。毎日、このあたりを歩いて小学校に通っていますが、この清そう活動にさんかして、はじめてごみの多さに気がつきました。ごみをすてるのも「だれか」であり、それを拾ってくれるのも「だれか」だと思いました。その拾ってくれる「だれか」にぼくたちは感しゃをし、その拾ってくれる「だれか」にぼくたちもならなくてはならないと今、思っています。

この夏休み、ぼくはときどき、父と散歩をしています。この前の土曜日の朝も、父と下松小学校のまわりをいっしょに歩きました。すると、小学校の正門の前で、一人の男の人がもくもくと草をぬいていました。その男の人のそばには、草でいっぱいになった白いごみぶくろが二つありました。

この人も、ごみを拾ってくれている「だれか」の一人だと思います。父の話によると、この男の人はいつも朝早くから、小学校のまわりのごみを取ったり、草をぬいたりされているそうです。

この男の人のように、地いきのために何かができる「だれか」になるためには、どうしたらいいのでしょうか。そして、それを続けていくためには、何が大切なのでしょうか。

これらのことについての正しい答えは、ないのかもしれません。しかし、ぼくが考える答えは、まず「自分の身のまわりで、自分ができることから始めてみる」ということです。

ぼくは今、一週間に一度、家の洗面所のそうじを手伝いとしてがんばっています。かかる時間は、15分ぐらいで、それほど大変ではありません。これは、自分の家の手伝いでむずかしいことではありませんが、こうしたことを続けていく習かんが身につけば、しょう来、地いきのために何かをすることができる「だれか」になれるのではないでしょうか。

よい習かんを続けていくときには、まわりの人からの声も大切です。洗面所のそうじのあとに、母から、「きれいになったね。どうもありがとう。」と言ってもらえると次もがんばろうと思います。

この気持ちをわすれず、「自分のできること」から始め、地いきのために何かができる「だれか」にしょう来なりたいです。

コロナ禍の子どもたちが教えてくれた“大切なこと”

令和3年(2021)度の「小さな親切」作文コンクールは、通常テーマ「小さな親切」に加えて、特別テーマ「コロナが教えてくれたこと」を設けました。 “ウィズコロナ”が日常となった子どもたちの作文には、幸せの本質や人の心の在り方など、大切なメッセージがたくさん詰まっていました。

特別テーマに寄せられた作文の傾向を一部ご紹介します。

“当たり前”が幸せ

圧倒的に多かった作文のテーマは、コロナ前の日常が「いかに幸せだったか」気づいたというもの。学校行事や修学旅行に加え、人生の節目となる入学式や卒業式、一生懸命練習に打ち込んだ部活動の大会などが中止となり、多くの小中学生が残念な想いを綴っていました。
コロナによって、一生の思い出となる機会がたくさん奪われてしまったことに胸が痛くなりますが、これまで当たり前のように過ごしていた学校や家庭での日常は、「決して当たり前ではない、とても幸せなものだったのだ」と気づいた子がたくさんいました。だから、これまで以上に、家族や身近な人に感謝しながら、一日一日を大切にしよう……と、彼らは前向きに”今“を生きています。
年を重ねた大人のように、達観した子どもたち。早くのびのびとした生活ができるよう願っています。

大人への批判の目

クラスメイトとの楽しい食事の場である給食の時間は「黙食」となり、友達と遊んだり、家族との旅行や外食もできなくなりました。学校や家で、様々な制限を強いられている子どもたちの「息抜きの場」は多くありません。
そんな中、テレビで目にするのは、緊急事態宣言中にも関わらず、路上や居酒屋で遅くまで飲み、ハメを外す大人たちの姿。自分たちは感染しない・させないように、いろいろな我慢をしているのに、なぜ大人はルールを守らないのか、と怒りをぶつけている作文もありました。
また、「コロナ差別」「自粛警察」など、他人を攻撃する人に対しても厳しい意見が。「憎むべきはウイルスであって、人ではない」と、多くの子どもたちが相手を気遣う心の余裕を持つよう訴えています。
本来、子どもたちのお手本であるべき大人。我々の言動・行動は常に子どもたちに見られていることを忘れずにいたいものです。

“人の心”を教えてくれたコロナ

家族や身近な人がコロナに感染したり、濃厚接触者になった体験を書いた作文もいくつかありました。通っていた幼稚園で感染者が出たため、濃厚接触者になった妹に、思わず「近寄らないで!」と言ってしまった小学生は、幼い妹を傷つけた罪悪感でいっぱいになりながらも、自分の心を見つめ、差別は決してしてはいけない、コロナが「人の心」を教えてくれた、と綴りました。
不安や恐怖によって生まれてしまう「差別の芽」。それを摘むことができるのは、唯一「人の心=思いやりの心」だけ。コロナに打ち勝つためには、「人の心」を失ってはならないと多くの子どもたちが気づいてくれたことは、嬉しい限りです。

過去3年間の入賞・入選者はこちら

第48回(令和5年度)入賞・入選者【PDF】
第47回(令和4年度)入賞・入選者【PDF】
第46回(令和3年度)入賞・入選者【PDF】

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