被災地への訪問③ コミュニティの力
宮城県石巻市では、東日本大震災のよる津波によって4000人近い犠牲者が出ました。
高台にある幼稚園から、バスに乗って帰されたために亡くなった園児もいます。三陸地域はリアス式海岸ですので、津波も多いのですが、すぐ近くには必ず高台があります。
多くの悲劇を見聞きすると、いつも「なぜ?」という疑問が残るのですが、正直なところ、いざ自分がその場にいたら、どういう行動をとってしまうのかわかりません。
石巻の町を歩くと、あちこちに津波ラインが引かれているのを見かけます。建物、電柱、歩道橋。「ここまできたのか」と、どれを見ても恐ろしくなります。
紙芝居「まつりのひ」では、引っ越してきたばかりの主人公のキュウスケが、現地で知り合ったコタローに海辺を案内してもらうシーンがあります。
村の斜面の途中から下には、今は何もないけれど、以前はそこに家がたくさんあったと聞いて、キュウスケはびっくりします。
その驚きは、現地を見た私の感想そのままです。
歩道橋の足に記してあった津波到達ライン
それから仮設住宅にも伺いました。被災から4年以上たっていますが、何十棟もの仮設住宅がいまだに並び、近くには仮設店舗もたくさんありました。
4年もそこで暮らしていたら、日常化してしまい、そこから出る気力もなくなるのではないかと心配になります。実際のところ、仮設住宅を出られる算段がつかない居住者も多いと聞きました。
仮設住宅地区内にある仮設店舗
さて、被災地を取材すると、不思議な感覚が芽生えます。被害をまったく受けていない自分が、現地の方につらい思い出を聞くのは申し訳ないようなそんな感覚です。ところが現地の方の話では、そうではないのです。
「東京から来た人の方が話しやすいこともある」と言うのです。なぜなら、被害を受けた人の中でも、度合いや今後の計画などに差があるからなのです。
例えば仮設住宅から間もなく引っ越すというような話題は、それができない人にはつらい話になりかねません。社会というものは実に微妙な関係性で成り立っているのだと感じました。
逆に、地方の地域だからこそ!という話もあります。ほとんどが顔見知りですので、避難所でもすぐに役割分担や、意見の交換ができたということです。緊急時には大きな違いをもたらしたでしょう。
紙芝居「まつりのひ」の大きなテーマとして、コミュニティの確立があります。老若男女が郷土愛をベースとして結びつき、ひとつのことをなしえる。まつりはその象徴です。
被災地には多くの問題が残っていますが、郷土愛パワーは問題解決の下支えになるでしょう。取材で出会った皆さんから一番伝わってきたのは、そんな力強さでした。
石巻市日和山から見た景色 少しずつですが復興が進んでいます:左は震災直後、右は現在
取材:にいのゆうひこ